遺言に託す「想い」

こんにちは。

今まで、遺言の形式などについて、色々とお話をしてきましたが、実際に遺言を自分で書くとしたら、どんな遺言を遺したいでしょうか。今日は内容に関するお話です。

子ども二人のうち、一人はずっと疎遠で、音信不通なのに対し、別の一人は同居して面倒を見てくれている。だから、面倒を見てくれている子どもに財産を多く遺してやりたいとか。

一人には、生前に色々金銭的に援助をしてあげたが、別の一人には苦労をさせたから、相続に関しては多く遺してやりたい、など。

財産の遺し方一つにしても、遺言者の様々な「想い」がありますよね。

もちろん、法定相続分に従って全員平等に、という場合もありますが、敢えて遺言を遺される方は、そうではない方が多い気がします。

遺言によって、少し偏った財産の遺し方を指定するとき、上記のような「想い」も書いておきたい、というのは、遺す側の気持ちとしてよく分かります。

相続人がお子さんであれば、財産の分け方は少し不公平に見えるかもしれないが、こういう事情だから組んで欲しい。その上で、自身亡き後も、兄弟争うこと無く、協力し合って生きていって欲しい、など。

このような「想い」の書かれた遺言は、よく見かけます。

しかし、残念ですが、この遺言者の「想い」には、法的拘束力はありません。

上記で言えば、財産の分け方には法的効力が生じますが、兄弟協力し合って生きていくところまでは、さすがに法で縛ることはできません。

では、書かない方がいいのか。

私は法律の専門家ですが、書いた方がいいと思います。

こういう「想い」の部分を、遺言の「付言事項(ふげんじこう)」といいます。

繰り返しになりますが、この「付言事項」には法的拘束力はありません。

ですから、その後、兄弟が仲違いして、死ぬまで音信不通でも、遺言の効力には特に問題はありません(仲良くするのに超したことはないですが。)。

しかし例えば、子二人の相続人A、Bがいる場合、「Aに全財産を相続させる。」とだけ書かれた遺言を見たとき、Bとしては理由を知りたいですよね。

書かれていなくても生前の話し合いで分かっていた、という場合は別ですが、しばらく音信不通だった場合など、寝耳に水、という気持ちになるでしょう。

それだけでなく、実はAが生前、被相続人をそそのかして無理に書かせた無効な遺言なのでは無いか?とBにあらぬ疑いを抱かせ、A、B間で争いにもなりかねません。

「付言事項」として、「生前Aは、寝たきりになった私を、何くれとなく面倒を見てくれた。だからAには感謝の気持ちとして全財産を相続させたい。Bには生前に何度か金銭面で多額の援助をしたが、Aには何もしてやれなかった。どうかBには、この気持ちを分かって欲しい。」などと書かれていたら、取りあえず理由は分かるし、Bのキャラクターや、実際の財産の額等にもよりますが、納得できるかもしれません。

法的拘束力が無くても、余計な争いを止め、できるだけ遺言者の思いを組んでもらえるよう、訴える力がある「付言事項」は、実はとても重要な部分だったりするのです。